本稿は、編集部が接触した出来事をもとに構成した実録風ケースである。プライバシー保護のため人物・地名・状況の一部を再構成しており、登場人物の実名・特定情報は、本人および関係者の掲載同意が確認できるまで掲載しない。ただし、制度と書類をめぐる経緯は、可能な限り聞き取った内容に沿って記述している。

01 — 挨拶

男には、日本に妻がいた。

日本国内に自宅があり、仕事があり、生活があった。そしてインドネシアには、結婚したい女性がいた。

二人が出会った経緯の詳細は伏せる。ただ、関係は長く、真剣だった。彼女は、男に日本の妻がいること——第一夫人の存在を知っている。知った上で、関係を続けてきた。

だが、彼女の両親は知らない。

男は休暇を取り、彼女の家族への結婚挨拶へ向かった。日本からインドネシアへ。空港から車で数時間、モスクの尖塔と椰子の木が交互に流れる道の先に、彼女の実家はあった。

日本で「挨拶」といえば、頭を下げ、茶を飲み、娘さんを大切にしますと告げる、あの儀式である。男も、そのつもりだった。

02 — 「正式に結婚してください。」

食卓で、彼女の父親は穏やかに、しかしはっきりと言った。

「それでは、正式に結婚してください。」

この土地で「正式に」とは、式を挙げることだけを意味しない。宗教上の婚姻の儀を行い、そのうえで婚姻を国の帳簿に登録することを意味していた。神の前の結婚と、国家の前の結婚。その両方が揃って、はじめて娘は「妻」になる。

家族の承諾を得て、話は順調に進んだ——その書類が現れるまでは。

03 — THE DOCUMENT

外国人がこの国で婚姻を登録しようとするとき、求められる書類がある。自国の政府側が発行する、「この人物は結婚できる状態にある」ことの証明。いわゆる、独身証明である。

独身であることを、証明してください——。

日本人が外国の方式で婚姻する場合、「独身であること」など日本法上の婚姻要件を満たすことを示す書類として**「婚姻要件具備証明書」**が用いられることが多いとされる(法務局・在外公館等が発行)。発行手続や相手国側の要求書類の運用は国・機関により異なるため、一次資料を確認中。

男の頭の中に、その一言が浮かんだ。

いや、俺、独身じゃない。

彼は既婚者である。既婚者に独身証明が発行されることは、当然ながら、ない。

嘘をつくか。書類を偽るか。——それは論外だった。それをした瞬間、この話は「結婚」ではなく「犯罪」になる。

ここでゲームオーバーに見えた。

04 — だが、この国には制度があるとされる

帰国した男は、調べはじめた。そして、ひとつの情報に行き当たる。

インドネシアには、宗教裁判所を通じた**「一夫多妻許可」という制度があるとされる**。

インドネシアの1974年婚姻法(婚姻に関する1974年法律第1号)は、一夫一婦を原則としつつ、宗教裁判所の許可等を条件に複数の妻を持つ婚姻を認める規定を持つとされる。許可の具体的要件(扶養能力・公平性等)、第一夫人の同意の法的位置づけ、外国人への適用の実際については、一次資料および現地の有資格専門家への確認を進めている。

もし本当なら、こういうことになる。この国では、既婚の男が、条件を満たせば、独身としてではなく、既婚者として第2夫人と結婚する道があるのかもしれない。宗教上の建前ではなく、国家に登録される結婚として。

ならば、日本人である男にも、その道はあるのか。

05 — 日本の法律は、ついてくる

ここで、もうひとつの壁が現れる。男の結婚には、インドネシアの制度だけでなく、日本の法律がついてまわるからだ。

日本の民法第732条は「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」と定める(重婚の禁止)。刑法第184条は重婚を処罰の対象とする。また「法の適用に関する通則法」第24条は、婚姻の成立につき各当事者の本国法によると定めている。つまり相手国の制度が一夫多妻を認めていても、日本人当事者には日本法上の婚姻要件が問われることになる。個別の事案への適用は婚姻の方式・国籍・宗教・登録手続等により異なるため、有資格専門家への確認が必要。

宗教上の婚姻。国家への登録。日本の戸籍。在留資格。子どもの国籍。そして相続。

「結婚」というたった一つの言葉の裏に、複数の制度が重なっている。男が食卓で直面したのは、その断層だった。

06 — 次に現れた条件

そして調査を進めた男の前に、次の条件が現れる。

インドネシアの「一夫多妻許可」の要件として語られる、あの一行——

「現在の妻の同意」

男はその後、どうしたのか。彼は挨拶の席で嘘をつかなかった。書類を偽ることもしなかった。即答を避け、「準備に時間がほしい」とだけ告げて、日本に戻った。

本誌の調査は、この食卓から始まった。「現在の妻の同意」が本当に必須なのかは、CHAPTER 04で追う。

本誌は、虚偽の申告、書類の偽造・不正取得、その他の法令違反を推奨しない。CASE 01が示しているのは「抜け道」ではなく、宗教・国家・戸籍・国籍という複数の制度が、一人の人間の上で衝突する現場である。制度の適用は国籍・宗教・居住地・婚姻歴・裁判所判断等により異なる。本稿は可能性を示す問題提起であり、法的な成立を示すものではない。